アウトリガーカヌー・ナビゲーター  フジオの人生山あり海あり日記

海やイヌや山や旅や自分の事などをお話しながら、フジオの生き方を伝えていくmemo

お寺の存在ってどうなんだろう?

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お寺の存在ってどんなんだろう?

すぐに思い付くのは、
葬儀であったり
広い空間であったり
歴史を感じさせるものであったり。
なんとなく遠い存在なのかしら。

昨日今日と
こどもたち向けのプログラムで、
江田島にある光源寺さんにいってきた。
寺子屋体験として、お寺の本堂で一晩過ごす小旅行。
少し遠い存在に浸る非日常生活。
こどもたちは思いっきり楽しんでいた。

その姿を見ていると
もっと近くにあってもいいのかなあと思ってしまう。

近場の人達が集まる拠点として、今は公民館とかがある。
そんな施設ができてから、お寺が少し遠くの存在になぅてしまったと聞いた。
その昔は学校であったり
塾であったり
ちょっとお話するのによるようなとこであったり
その場所の情報発信基地でもあったと考えることができる。
今回、行ってみて思ったのは、宗教的な教えを広める場というよりも、
上にあげたような交流の場の意識の方が運営側は強いような印象が強くあった。
もしかしたら光源寺がそういうところなのかもしれないが。

江田島では200年以上続く「お朝事」という朝の行事がある。
一年365日毎朝、お経を唱えて、法話をするということを江戸時代から続けている。
続けることは実際にやってみると、それは並大抵な努力ではそんな長い間やることはできないだろう。でも江田島にあるお寺は何軒もその事を粛々と進めている。

光源寺を受け継がれている海谷夫妻も、
そのなかにいる。
彼らはそれをベースにもっと広く人に触れてほしいと、いろいろな活動をしている。
http://blog.goo.ne.jp/teraichi_001
その活動が冒頭に触れたものの解消になることを願っている。

僕らもそのお手伝いを、僕らの歩幅で関わっていきたい。

そんなことを思う初夏の夜。

ありがとうございます
フジオ
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