アウトリガーカヌー・ナビゲーター  フジオの人生山あり海あり日記

海やイヌや山や旅や自分の事などをお話しながら、フジオの生き方を伝えていくmemo

心の持ちようでどうにでもなる

 

心の持ちようでどうにでもなる。

 

心の持ちようは自分が決めていること。

それをコントロールするのは自分。

 

喧嘩している相手がいるとして

子どもには「もう許してあげなさい」

と諭す大人は沢山いると思う。

ところが大人には「それは許せないね」

と同調する大人たちがいる。

大人の事情だからとか

それはやりすぎだとか

子どもと大人は違うとか

 

なんで許せないのかな?

子どもと大人は何が違うの?

と感じてしまう。

 

確かに

 

キチガイの類の者はいるので

それは除外してもいいと思う。

きっとそれは犯罪の匂いがプーンとしているのだろう者。

 

子どもの仲違いの話を聞いていると

「対話不足」

という事が原因になっていると感じる。

最初に聞いとけば

どうしてなのか確認すれば

ここで伝えてみたら

とかなんとか

こんな事を考えたりする。

 

そうこう思考を巡らしていると

大人も同じなんじゃないかなあと。

「対話不足」

だなあと。

 

「会話」でなくて「対話」

 

向き合って話してみる

とかすると違ったりするかも。

 

根が深いから

根本的に合わないから

とかあるっていうけど

根まで掘り起こしたことあるのかな?

と聞いてみたくなる。

子どもに強要するのに

大人は免除されてしまう事が多い気がする。

素朴な疑問。

 

最初に会ったコンマ1秒から

険悪な人って稀だと思う。

出だしは仲良しだった人が多いと思う。

大好きだった人もいるはず。

その時と今との差はなんなのか?

 

「自分の心の持ちよう」

ここが違うだけ。

心の持ちようは自分が決めていること。

何を今更そんなのメンドくさいと考えているのも自分が決めている事。

それをコントロールするのは自分。

 

だから

心の持ちようでどうにでもなる

というお話でした。

 

最後まで読んでいただきまして
ありがとうございます


〜Dig Dugが好きだったクラブ〜

◯モクプニアウトリガーカヌークラブせとうち
 代表
 フジオ (小林富士雄)

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